項目説明 | メガフロート(Mega-Float)とは超大型浮体式構造物をさし、巨大人工浮島とも呼ばれる。 メガ=巨大、フロート=浮体を組み合わせた造語であり、従来の船舶と呼ばれるものより大型の人工浮体構造物を指す。 メガフロートの構造は、直方体形状の浮体ブロックを大量に生産し、つなぎ合わせて大型化したのち、固定した杭などに係留したものとなっている。各ブロックは主に造船所で建設されて建造現場へ曳航され、海洋上にて接合される。
通常の航空母艦や大型客船よりも安価に短期間で巨大構造物を造ることができるのが最大の利点である。
なおメガフロートは最終的には固定されるため、移動することが出来ない点で厳密には船舶とは異なる。ただしブロック毎に分解して移動することは可能。 以下の利点がある。
用地が不要 水深や地盤に関係なく海域を利用可能 耐震性に優れている 工期が短い 移設が可能(将来、必要に応じて固定をはずし曳航移動させることはできる) 環境への影響が少ない(海流、水質汚染、設置工事に伴う環境への負荷等) 拡張が容易 形状変更が容易 内部空間が利用可能(例えば、駐車場、災害備蓄用スペース等として) 重量物設置が可能(追加補強工事が不要) 空港建設への利用メガフロートは、特に洋上空港としての利用が期待されたため、数km規模、100年耐用を目指して1995年頃から開発が進められ、1996年には長さ300m、幅60m、深さ2mの実証浮体モデルがつくられ、2000年に住友重機械工業(現・住友重機械マリンエンジニアリング(株))主導のもと横須賀沖にて1000m級の実証浮体が建造され、実際にYS-11機等を用いた離着陸試験を行った。このときの結果を元にして、4000m級のメガフロートを建造し、空港に利用することが可能であると報告されている。特に、羽田空港の新滑走路設置に際して、在来の埋立工法をではなくメガフロート工法が採用されるかが注目された。工期や総工費、環境への影響など多様な観点から検討された。
しかし、結果として、主として以下の理由で採用されなかった。 土木と造船業とで技術のテリトリーに関する摩擦が存在している。 技術的には確立されているものの全く採用実績がない。 海洋土木業界(マリコン)とメガフロートを建造する造船業界など、いわゆる族議員も含めて、それぞれの業界の応援団がいるが、造船業界以外の業界の応援団が強力であった。 所管の国土交通省内部でも、造船業を所管する部署は発言力が強いとはいえなかった。 羽田の工法問題がピークに達する前に、大型タンカーの更新需要期が重なり、造船業界のメガフロート推進熱が冷めた。 造船所にとっては、メガフロートは言ってみれば「鉄の箱」であり、自社の技術力を格別誇れる案件ではなく、取り組む熱意が起きにくかった。 中国の開発ブームで鋼材価格が上昇した。 滑走路一本の建造が決まった場合、造船所一社では対応できず、国の指導のもと分割建造が想定されるが、そうなると、各社の船台がおさえられることになってしまい、新造船受注活動に支障をきたす。 このため、メガフロート空港の建造は日の目を見ておらず、実用化は程遠いと思われる。
なお、こうした着想は古くからあり、たとえば「少年倶楽部」に1938年1月から12月にかけて連載された海野十三の少年向け軍事小説『浮かぶ飛行島』では、南シナ海に建造されつつあるメガフロート海上空港が舞台となっている。
軍事施設への利用日本では、専ら滑走路機能を主体とする軍事用のメガフロートが、過去に何回か提案されたことがある。
米空母艦載機NLP訓練代替施設(関東近海案)初期の事例としては1982年、厚木飛行場において米空母艦載機が夜間離着陸訓練(NLP,Night Landing Practice)を開始し、そのことで周辺住民より騒音被害の苦情が相次いだことから、対策としてメガフロートの活用が提案された。具体的には当時防衛庁長官だった伊藤宗一郎が定期防衛首脳会談のため、1982年9月に訪米した際、国防長官のキャスパー・ワインバーガーに提示したという。当時はまだメガフロートと言う言葉は一般的ではなく、新聞は「浮き滑走路」などと報じている。当時、米側は厚木や分散訓練先になっていた三沢飛行場などの代わりに新たな訓練地を希望しており、それに応えたものであった。
希望内容としてはパイロットの疲労軽減の観点から想定海域は米空母の母港となっていた横須賀海軍施設の近郊で、相模湾、東京湾などが挙げられている。また、米側の要求に応えるばかりでなく有事の際の日米協同の防空作戦を展開する上での役割が期待され、当時脅威となっていたバックファイアに対する邀撃訓練のための使用も検討していた。しかし、工費が莫大であることに加え、当時は緊縮財政によりシーリング予算を毎年編成していたことなどが挙げられ、具体化はすることなく、程なく陸上の移設候補地を探すことになる(三宅島、硫黄島、岩国飛行場、その他各地の自衛隊の飛行場などが検討され、後2箇所で実現した)
米空母艦載機NLP訓練代替施設(岩国飛行場沖合拡張案)なお、岩国基地への空母艦載機部隊移転の関係で更なる沖合への滑走路新設が岩国商工会議所などにより構想されたことがある。この際の工法にはメガフロートが候補であり、事業費として4000〜5000億円程度を想定している旨報じられた
普天間飛行場代替地としての検討普天間基地移設問題では移設先としてメガフロートで造るべきだとの意見が何度も提案され、一部は埋立案や浮体桟橋(QIP)案などと公式の比較検討を実施している。ジェームズ・アワー元米国防総省日本部長のように「仮にメガフロート施設を造れば、普天間基地、那覇軍港、キャンプ・キンザー(牧港補給地区)の移設も可能だ」と言った高官の支持も見られる
また曳航・或いは自力航行などにより移動可能な浮体を建造することによって軍事上のメリットを重視する見方がある。このような発想はメガフロートと言う日本流の呼称はなされず、MOB(Mobile Offshore Base)と呼ばれており、米軍によって要素研究が続けられている。シー・ベイシング構想などで海上事前集積船隊に導入を検討する動きもある。軍事用途特有の問題点は攻撃に対する耐久性にある。滑走路に爆弾、ミサイル等の直撃を受けた場合、埋立を含む地上施設では埋め戻しと再舗装を行えば短期間で発着能力は回復できるが、基本的に鋼構造物であるメガフロートの場合はその保証は無く、MOB以外は被害を受けたモジュールの船渠への移動も困難性がある。このため、被害を出さないように戦闘機や対空火器による厳重な護衛の必要性が増す上、海中からの攻撃によるリスクも抱え込むことになる[8]。
辺野古移設の日米合意を覆し移転先を再検討することとなった鳩山由紀夫内閣においても2010年4月にポンツーン方式を前提としたメガフロート案が政府内で再浮上したが、キャンプ・シュワブ沖は波が荒く同方式では防波堤が必要で、費用も1兆円以上かかる見通しとなり見送られた
4ではラトゥールが所有する南北工業地帯が該当する。
大破壊後、ラトゥール周辺の市街地は水没したらしく 名も無いガレージの近くに沈んだ街が見える。
↑x3 多少変えているようだが、Wikiのコピーはどうかと思う(HAZE)
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